「誰かのために生きる」という言葉
聞こえはいいけど「重い」と私は思う。
例えば「恋人」
「恋人のために生きている」という人。
たまに見かけるけど大丈夫かなって思う。
恋人がいないと生きられない弱さが怖い。
すがらなければ生きていけない。
そのすがる対象がなくなったらこけてしまう。
これは相手にとって重荷にしかならない。
自分の道を他人に責任を持たせるのは重いことだと私は思う。
いつだったかお付き合いした人に「共依存が理想」だと言われたことがある。
言われた時、ゾッとした。
私には恋愛以外に自分の世界があるので「共依存」と言う生き方が考えられなかった。
「恋人のために」は事態が悪くなれば「恋人のせいで」に変わる。
「自分はここまでしているのに」と同レベルの依存を求めることで相手を疲れさせてしまう。
重い。無理。
つい先日アイドルの熱愛が出た時にも思った。
「アイドルのために生きてます♡」ってプロフィールに書いている人が、熱愛が出た瞬間そのアイドルの悪口を書いていた。
「〇〇のために生きていたのに」
「失望した」
って。
いやもうほんとに。
(´・ω・`)知らんがな
って思った。
勝手に理想の姿押し付けて勝手に「あなたのために生きてる♡」って言うのはかまわんが、相手に同じことを求めちゃいけない。
アイドルも自分のために生きるもんだろう。
自分のために生きろよ。重い。
押し付けて見返りを求めるのは愛情ではない。
「誰かのために」の前にまず「自分のために」できてこそなんぼだと、私は思う。
その上での誰かのために、なら相手も受け入れることができるんじゃないかな。
なんて。
ここ最近ふと思ったことを書いてみた。
何かあったわけではないけどね。
依存は一生NOサンキューなゆきんこでーした(´・ω・`)「